国分寺・小金井市で、リラクゼーションと癒しを提供しているヒーリングサロン スターヴィラ「さくらgarden」です。
今日は、私がなぜヒーリングを始めるようになったのか、その経緯を書きたいと思います。
私が多くの方にヒーリングを通して伝えていきたいことは、遡れば私の幼少期のある体験からきています。
私は、子どもの頃から特に霊感が強いとか、サイキック能力があるというわけではありませんでした。
ごくごく、普通の子どもだったと思います。
ただ、感受性は豊かだったと思います。
特に幼少の頃は、自然がたくさんある環境で過ごし、植物や昆虫などに触れる機会も多く、私の今の感性はその頃に育まれたと思います。
私の母親は、21歳の時に私を産んでいます。
私を産んだ3年後に妹を産み、その3年後には弟を産みました。
27歳で3人の子どもがいた母親は、本当に大変だったと思います。
私は3歳の時から、お姉ちゃんとして育てられました。
私の幼少期の記憶として、今でも耳の奥に染みついている言葉があります。
お姉ちゃんなんだから、我慢しなさい。
お姉ちゃんなんだから、後にしなさい。
お姉ちゃんなんだから…
妹と弟の前ではよくその言葉を言われていたので、「お姉ちゃんなんだから、何でも我慢しないといけない。」と、私もそれを当たり前のように思っていました。
当時の母親は、必死で3人の子どもを育てながら、子育てを模索していたと思います。
母親との思い出はたくさんありますが、子どもの頃の私は、母親は父親よりも厳しくて、私をよく叱る人だという風に感じていました。
何をしても、母親にはなかなか褒めてもらえない。
お姉ちゃんなんだから、それくらいできて当たり前だと言われてしまう。
妹と弟には優しいのに、私には厳しい。
私はいつも、そう感じていました。
なので、私はいつのまにか、母親に褒められたくて認められたくて、何事も頑張るようになっていました。
そして、自分のためではなく他人に評価されたくて、行動を起こす人間に育っていきました。
母親が私を叱るたびに私は悲しくて泣いていましたが、次第に母親の前で泣くことは、自分の弱いところを見せる恥ずかしい行為だと思うようになりました。
いつからか私は自分の感情をコントロールするようになり、人前で泣くことをやめ、どんな時でも人前では感情を出さずに無表情でいるように変わっていきました。
あれは、いつだったか…
私は成人していたと思うのですが、
ある日、私と父親で何かを話している時に私がとった態度について、母親が父親のいない時に注意してきたことがありました。
「あなたはどうしてお父さんに、あんな冷たい態度をとるの?
無表情で、話を聞いているのかもよくわからない。」
その時、母親にそんなことを言われたと思います。
私は、その「無表情で…」という言葉にとても嫌な感じを受けました。
そして、私がなぜ無表情になったのか…ということを、母親に怒りの感情を込めて、思いっきりぶちまけました。
「私が子どもの頃から、お母さんは私にいつも厳しくて冷たくて、私がどんなに頑張っても褒めてくれなかったじゃない!
もっと頑張りなさい…とか、そんなの出来て当たり前だ…とか。
それを言われて私がどれだけ傷ついてきたのか、わかる?
もう傷ついて泣くのが嫌で、私は親の前では絶対に泣かないように無表情を装っていようと、子どもの頃に決めたんだよ!
こうなったのは、みんなあんたのせいなんだよ‼︎」
それを聞いた母親は、とても驚いた表情で私を見つめていました。
本当に、今初めて知ったかのような顔で私を見ていた母親は、しばらくして少し震えた声で
「…そうだったの…ごめん…」と呟くように言ってきました。
私はそれを聞いて、言ってしまった…という少し後悔した気持ちと、言ってやった…というせいせいした気持ちの両方を感じながら、その場から立ち去りました。
翌日から、私に対する母親の態度が明らかに変わりました。
私をちゃん付けで呼ぶことが増え、私のことをよく褒めるようになりました。
それを受けて私は、何だか無理をさせているようで申し訳ない気持ちになりました。
それから何年か経ち、私はひょんなことからある人のコーチングを受けることになりました。
その頃には私は結婚していましたが、他人に評価されたいという思考グセは相変わらず持っており、
結婚生活では夫に評価されたくて頑張っていました。
そのコーチングは月に2回あり、約半年間続きましたが、セッションで私は毎回泣いていました。
セッションでは毎回テーマがあり、そのテーマに沿って自分を内観し掘り下げていくのですが、子どもの頃から自分のことが嫌いだった私は、自分の良いと思うところも悪いと思うところもすべて認めて受け入れることがどうしてもできず、毎回苦しんでいました。
そしてある時、コーチングの先生に、私が子どもの頃から母親に認めてもらえず苦しんでいたことや、そのせいで無表情になり母親にその理由を告白した時のことを話しました。
その話を聞いて、先生はこう言ってきました。
「あなたのお母さんは、その告白を受けた時にものすごくショックだったと思うよ。
人間はね、いつもと同じことよりも、いつもと違うことの方が強く記憶に残るんだよ。
あなたが覚えている厳しかった母親像は、普段とは違う母親の一面だよ。
つまり、あなたのお母さんは普段は優しかったということ。
一生懸命育ててきた娘に、大人になってからそんなことを言われて…
お母さん、本当に傷ついただろうねぇ。」
それを聞いて、私は本当にショックを受けました。
すぐには受け入れることができず、頭の中が真っ白になりました。
過去の記憶や思い出は、自分が都合よく作り上げた妄想だったのか?と、狼狽しました。
私は、自分が嫌い。
自分のことを、愛するなんてできない。
自分に自信がない。
自信がないので、いつも他人の目が気になる。
他人に評価されたくて、頑張ってしまう。
…私がこうなったのは、すべて母親のせいだと思っていた。
それが、母親のせいではなく…私が作り上げてきた妄想?
しばらく私は、そのことについてなかなか受け入れられずにいました。
それでも、コーチングを続けていくうちに、私はものごとをある一点からしか見ていなかったことや、
思い込みが激しくて頑固だということを自分で認め、私の中の母親像は、母親のある一面に過ぎなかったのではないか…と、思うようになっていきました。
コーチングで学んだことは、本当にたくさんありました。
その中でも一番嬉しかった学びは、私が自分の全てを認めて好きになれたこと。
子どもの頃に育まれなかった自尊心を、持てるようになれたことです。
これは、私にとって本当に大きな成長でした。
30年以上も失っていたものを、手元に取り戻したかのような感覚です。
私はコーチングを受ける前から、゛将来は栄養士になって、保育園で子ども達に食育をしたい゛
という明確な夢を持っていました。
しかしこのコーチングの学びから、゛栄養士だけではなく、子育てに悩む母親とその子どもをサポートしたい゛という思いも生まれました。
子どもを持つ母親に、子どもの自尊心を育むことがどれだけ大切なことなのかを、子どもが小さいうちに伝えていかなければ…と、思ったからです。
コーチングを受けるのと同時期に、私はヒーリングについても学んでいたので、ヒーラーとしてそれを伝えていこうと決めました。
他人の評価のためではなく、自分のやりたいこととして初めて思えたこと…
それが、今私がやっていることなのです。
私は今、母親に感謝しています。
母親が必死でやってきたことが、私の人生のテーマとなっているのですから。
そこに気づくまでに、本当にたくさんの苦しみがありましたが、その苦しみが大きかったからこそ、
今感じている歓びも大きいのです。
私が経験してきた苦しみと同じ苦しみを持つ人が、少しでも減るように…私はこれからも活動していきます。
……私がヒーリングを始めた経緯は、以上です。
ですが…
私がヒーリングに目覚めたのは、ある人物との衝撃的な出会いがきっかけでした。
ある人物との奇跡のような、運命的な出会い…
これについては、また別の機会に書こうと思います。